母の頬に触れていたい

2011年に脳腫瘍を患い、2020年5月現在、自分で喋ることもできない母が眠る前に頬に触れてハグする息子の日記。

母が倒れた

2011年、故郷にいる母が倒れた。

 

 

東京で暮らす僕に対して、父から何度も入っていた不在着信に嫌な予感を感じつつ父へ折り返しそれを知った。

 

 

僕は仕事の休憩中、頭が真っ白になったが、夜仕事終わりに病院にいる母本人としゃべったところ「案外元気そうだな。」と感じホッとしたことを覚えている。

 

 

医者が言うには「脳に腫瘍がある、ただ悪性かどうかがまだわからないので細胞をとって検査する必要がある。」とのことだった。

 

 

父は言った「おそらく悪性じゃないやろ、大丈夫や。」

 

 

根拠はない。

 

 

その発言は僕や兄に向かって言ったのではなく、”そうであってほしい”という強い祈りなのだと感じられた。

 

 

開頭手術を行い、脳腫瘍の一部を取り地元の国立大学で分析してもらい判明した病名。

 

 

脳腫瘍のステージ4のグリオブラストーマで、このまま何も治療をしない場合は余命2〜3ヶ月です。」※ステージ4はレベルとしては一番最悪

 

 

父は目の前が真っ暗になったそう。

僕と兄もショックを受けたものの、何か方法がないかと検索してさらに絶望した。

 

 

それは生存率が極めて低いこと。

 

 

そして、脳腫瘍の患者さんが書くブログのほとんどはマメに更新しているものであっても、途中で途絶えていたこと。

 

 

お医者さんからの推薦状をもらった父は母の手術のために京都大学へ行くことになりました。

 

 

僕と兄は東京から京都へ、父と母は地方から京都へ。

 

 

久々に会った母は思いの外元気でよく喋っていた。

 

 

今でも覚えている母の言葉。

 

 

「あんたらが東京で離れて暮らしゆやろ?だから家族がバラバラな感じがしてちょっと寂しかったけど、私の病気で家族がまた一致団結する感じがしてるから、この病気もそんなに悪くないと思うよ。」

 

 

心配させまいとしてなのか、本心なのかは表情や声のトーンから判断できなかったけれど、あの頃の母の日記を読む限りでは夜泣いていたみたい。

 

 

当たり前だよね、一番苦しいのはおかんだったはず。

 

 

父は「(病気が)逆やったら俺はすぐ死ぬな。」いっていたけれど、それは俺も兄も同じだと思う。

 

 

女が強いのか、おかんが強いのか。

 

 

手術前のおかんのため地元からはるばる京都まで訪ねてくれた旧友の2人と笑顔で写真をとり、その直後手術室へと向かった。

 

手術室に入る前におかんは言った。

 

「がんばるきね!」

 

僕と兄と父で母の手を握って言った。

 

「がんばれ!」

 

そして午前中から夜まで長時間かかった手術が始まった。