免許更新がしたい
母は車の運転が好きだったため、リハビリして退院したら「まずは車の運転をしたい」としきりに言っていた。
僕ら家族もそれを願っていたけれど、結局リハビリでよくなるどころか右半身が完全に動かなくなり、それにともない免許更新は断念。
そのあと父の運転で桜を見にいった時、その時はまだ喋れた母が「くやしい」と泣き出し父も大声で泣いてしまったそう。
「桜の木の下で、ええ年した2人がワンワン大声で泣いたわ。」と父は笑っていた。
それから時とともに左半身も動かなくなり、そして今は喋れなくなってしまった。
寝返りを打つこともできない、排泄のコントロールもできない。
時々母は声にならない叫びにも似た声で泣くことがある、いや・・・最近では泣かない日はないといってもいいくらい。
僕がなだめると余計泣く。
母は音楽が好きだったので、YoutubeやAmazonプライムミュージックで母の好きな音楽、ミスチルや、ノラ・ジョーンズ、さだまさしや、スピッツなどとにかくリラックスできる音楽をかけてあげるようにしている。
音楽を聴いている間だけ、母はほんのわずかな時間、現実を忘ているような穏やかな表情になる。
2020年コロナ問題でやりだまにあげられていたけれども、ライブハウスから生まれた音楽はこの田舎の片隅で・・・いや世界中でどうしようもない悲しみに浸るモノを癒し続けていることを忘れてはならない。
決してないがしろにしてはいけない人類の財産であると思う。
話がそれてしまった。
はじめにお伝えするべきであったけれど、僕がこの日記を書いているのは僕自身の備忘録のため、そしてこれを読む誰かを勇気付けられたらいいなと思っているから。
あと、僕は母が喋れるようにったり、歩いたりする日々がまた来る可能性が0ではないと未だに思っている。
何度も放射線治療と抗がん剤をやっているけれど、未だに週一で医大に通院しているけれど。
この日記の時系列はバラバラだと思う。
それは単に僕自身が雑な人間だからであって、そこで矛盾点が出る可能性だってあるけれど、一つの太い軸として常にこのブログタイトルが根っこにある。
母に食事を取らせたあと、
薬を飲ませ、
歯磨きをして、
音楽を聴かせながら硬くなった全身の筋をマッサージで伸ばし、
オムツを変える時にお湯で濡らしたタオルで下半身や脇、首や顔を拭いて、
顔に化粧水をつける。
その時穏やかな表情になった母はまるで赤ちゃんのようで、ほっぺたはプニプニ。
そのほっぺたは触りたくなる。
ずっと触って、そして頬ずりしていられる。