手術が終わって
手術が終わり、沢山の管に繋がれたおかんは全身麻酔が聞いており眠った状態。
呼吸をしているのだけ確認して少し安心した。
担当してくださった京都大学のお医者さん、初対面の時あまりにも若くて(30代くらい)サーフィンとか好きそうな色黒でチャラい感じだったから大丈夫かな・・・(失礼)思っていたけれど、本当に話し方も紳士で信頼できる人だと感じた。
その先生が10数時間かけておかんの腫瘍をとってくれた。
先生曰く「99.99%は取りましたが、正常な神経や細胞を傷つけるため100%取り除くことはできません。なので再発率は100%です。」
再発率を聞いた父親は夜泣いていた。
病院近くの宿で父と兄と僕で川の字になって寝ていた時、父が言った。
「俺な?誰にも言ってなかったけどおかんと離婚しようと考えてたんや。」
「なんで?初めて聞いたわ。」
「最近のおかんの性格がキツくて、ちょっとしたことで激怒されてたんや。それがほんまに耐えきれんで離婚を考えてた矢先にこの病気がみつかった。よく考えたら脳腫瘍が原因で性格が変わっていたのかもしれんな。」
僕はある程度調べていたので脳腫瘍で性格が変わることがあることを知っていた。
「まぁあるやろうね。」
暗闇で父は泣いていた。
布団からそっと手を出して父の手を握ってあげた。
冷静に考えると20代後半の息子と、50代の父親が手を握りあって寝るなんて気持ち悪いことこの上ないのだけれど、その時はなんとなくそれが正しいと思った。
その暗闇で僕も一つ思い出したことがあった。
2011年の年始に帰省した際に母から最近右手が痺れると言われたことを思い出した。
母の腫瘍は脳の左にできていたから、あの頃から腫瘍が正常な神経を圧迫していたのは間違いない。
僕は少し太ってきた母に「運動しなさすぎやろ!」などと適当なことを言っていた。
あの時に未来がわかっていれば、すぐに脳の検査に行かせたのに。
あの時にあんなこと言わなかったのに。
もっと優しくしてやったのに。
そういえば、母は毎年人間ドックで全身検査を受けていた。
母が手術の少し前に言っていた言葉は今でも思い出す。
「毎年全身ドックで検査しよったのに、脳だけはしてなかった。ほんなら脳がいかんなった。」
僕は何もいえなかった。